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D.M.Z+板門店(JSA)ツアー |
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一日DMZ+JSAツアーは、半日DMZツアーと板門店(JSA)ツアーをセットにしたものです。じっくりと安全と平和と自由の意味を体験するツアーをお楽しみください。
1 板門店(JSA)
板門店はソウルから北北西方向約60kmくらい離れている軍事停戦委員会があるところだ。元の地名はノルムンりであった。1951年10月停戦会談が開城から移して中国語の表現のために板門店と呼ばれた。そこから板門店が由来された。
この頃の板門店は軍事停戦委員会のUN側と共産側が軍事停戦委員会会議を円満に運営するために1953年10月設置された区域だ。
共同警備区域が設置された以後には両側の軍人は区域内で自由に往来できた。しかし1976年8、18斧の殺害事件があった以後には軍事分界線を中心で分割警備をしているから現在往来ができない。
2. 非武装地帯(D.M.Z.)
1950年から1953年まで3年間の韓国戦争が休戦状態に入りその時から休戦ラインと非武装地帯が生まれた。 休戦線は1953年7月27日UN軍総司令官と北朝鮮の 軍司令官、中国人民支援軍司令官3ヶ国司令軍の戦闘合意で設置された線である。韓国の休戦協定第一条一項には“一つの軍事分界線を確定して、両方がこの線からそれぞれ2KMずつ後退した非武装地帯とさめた。”となっている。非武装地帯真ん中の線を休戦ラインすなわち軍事分界線ともいえる。
非武装地帯は両方の合意で設定された地域だが、民間人統制線は韓国の一般的な意志で作られた線である。民間人統制区域は軍事施設の保護と保安維持のために民間人を統制する目的で南方限界線から5 ̄20KM地域で設置されている所である。
民統地域は居住、移転、職業選択、私有財産権などの自由が甚だしく制限されていて民間人の出入りさえ非常に限られて行われている地域である。
3. ドラ展望台
南側では北朝鮮の生活を一番北側で観測出来る韓国の最北端の展望台である。
望遠鏡でソンアクサン、金日成の銅像、北朝鮮のキジョンドン村、開城、さび付いた50年まえの汽車が見られる。
この展望台は松岳山の展望台が閉鎖されてから新設した。1987年1月から一般人に公開している。
また、第三トンネルもその当たりにあるから一緒に観覧が出来る。
4. 第3トン ネル
1978年10月、発見した第3トンネルは探査をする時上に沸上がってから発見された。 第3トンネルはソウルからわずか44kmしか離れていない所で発見された。規模は幅2m、高さ2m、地下平均73kmの地点を1、635m掘ってきた。出口が5つあって、1時間当たり3万名の兵力が通過できる。 第3トンネルは北朝鮮から亡命したキムブサンの証言に基づいて、1975年からムンサンで作業を始めた。その間1978年6月10日、ボーリングの穴1つが振れて地下にトンネルがあると思った南が逆トンネルを掘って、1978年10月17日、北朝鮮が掘ってきたトンネルを発見した。規模は第2トンネルと同じだが、板門店から4km、ソウルから44kmだからソウルまで侵入することには1、2トンネルより威嚇的である。又は、こちらは1968年1月21日、青瓦台の奇襲のために武装ゲリラが侵入した所と引接地域でもある。
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コース名 |
D.M.Z+板門店(JSA)ツアー |
スケジュール |
ホテル出発 → D.M.Zツアー → 昼食(食事の場所で板門店ツアーと合流) → 検問所通過 → キャンプポニファス → 板門店見学(自由の家、本会議場、第三警戒所、帰らざる橋など) → キャンプポニファス → ロッテホテル明洞で解散 |
所要時間 |
07:00~19:00(12時間) |
料 金 |
★料金は参加人数によって変更になります。
2名以上 130,000ウォン/1名
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料金のお支払い |
韓国ウォンにて現地払い
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条 件 |
1. 入場料,ガイド料,食事代が含まれております
2. 交通状況により時間変更があります。
注意事項
1.パスポートを必ず持参してください。
2.在日韓国人の方は参加できません。
3.10歳以下の子供はツアーに参加できません。
4.観光スケジュールは軍の管理下にあり、板門店の突然の事情によるツアーキャンセルの場合はツアー代金を返却致します。
5.観光前の飲酒は禁じられています。
6.カジュアル服は可ですが、ジーンズ(ジーンズ色のすべての服)、サンダル、半ズボン、袖無し、Tシャツ、スポーツウェア、ミリタリーファッション、ミニスカートなどの露出の多い服は着用が禁じられています。
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板門店の事件 |
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1 斧の殺害事件 |
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板門店で起きた事件の中で、今まで一番緊張な状況を作って戦争目前になった事件である。共同警備区域の左のカードにあるポプラ木が“帰らざる橋”の隣りにある南側の第三警備所の視野をさえぎったので観測ができなかった。そういうわかで1976年8月18日、午前10時頃、韓国人5名の作業員がそのポプラ木の枝打ちを作業し、UN軍はその作業を指揮、警備をしていた。
その時、北朝鮮軍の2名の将校と数十名の軍人が作業の中止を求めた。でも、韓国の警備軍がこれを無視して作業を続いた。 そうすると急に数十名の北朝鮮軍たちがトラックに乗って走って来て斧と棍棒を振りまわして暴行事件が起こる。その事件で米軍のボニパス大尉とバレット中尉が死命し、11名が負傷した。
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2. トンネルの 事件 事件 |
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“一つのトンネルは10個の核爆弾より効果的だ”
金日成の直接命令
北朝鮮から韓国まで掘り下げて発見された南侵用のトンネルは現在4つで、西部戦線で2つ(第1、第3)、中部戦線で1つ(第2)、東部戦線で1つ(第4)がある。これで北朝鮮が全戦線で南侵用トンネルを掘ると同じに韓国の後方から軍隊を投入させて赤化統一の野心が証明された。
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