|
|
|
|
|
|
|
|
|
百済の古都 公州,扶余歴史ツアー |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
660年に新羅に滅亡される前まで韓半島の南(現の在忠清道,全羅道地域)を支配した百済の首都であった公州,扶余はドラマ "ソドンヨ"の歴史的背景の場所でもあります.
百済の古都公州,扶余には日本にも伝わったきらめき輝いて美しかった 百済の文化と仏教の遺跡地等が現在にも市内あちこちに残っていて新羅,高句麗とは違う百済固有の素朴で美しい文化を感じることができます.
百済最後の都、扶余(プヨ)には白馬江(錦江)を臨む扶余山を天然砦とした扶蘇山城(プソサンソン)があり、条理制が敷かれた計画都市で、仏教文化が花開きました。しかし、隣国新羅の台頭で滅ばされました。国立扶余博物館には日本の飛鳥文化に強い影響を与えた資料が沢山展示されているそうです。
1500年前の日本にも伝わったきらめき輝いて美しかった 百済の文化を満喫しましょう.
宮南池
宮南池は扶余市街 南1kmにある人工の広大な地にいくつもの池が延々があります。
百済時代 武王35年(634)、8km離れた所から池に水をひき、池畔に柳を植え、築山を築いた韓国で最古の歴史を誇る庭園で、百済の石造、造園技術は大変優れていたそうです。
新羅の都 慶州の雁鴨池は宮南池をモデルにして造られたといわれます。
公山城
錦江(クムガン)畔の高台にある公山城(コンサンソン)は百済の都が公州(コンジュ)に移った時に建てられた山城です。城は熊津城(ウンジンソン)で公州を守る為に造られた百済の代表的な古代城跡です。
文周(ムンジュ)王元年(475)、慰礼(イレ)城から公州に都が移り、その後、三斤(サングン)王、と東城(トンソン)王、武寧(ムニョン)王を経て、聖(ソン)王16年(538)、扶余(プヨ)に遷都するまでの5代、64年間、ここに都がありました。現在残る石積み城郭は朝鮮王朝時代のもので、百済時代は土塁でした。
武寧王陵
百済第25代の武寧王(462~523)と王妃の陵が1971年7月5日、宋山里6号墳墓の排水工事中に偶然発見されました。 運良く盗掘されていなかったので王陵からは冠装飾、耳飾、腕輪、墓誌石、石の獣像、青銅鏡、王妃の木頭枕、王の木頭枕、環装飾刀、王の木足座、金属の靴、金聖の髪飾り、王の金製の耳飾、王妃の金製耳飾、金製の九節首飾り、金製七節首飾り、王の金製冠装飾、王妃の金製冠装飾ほか現在国宝指定されている遺物ほか金製品等108種、2906点が出土しました。そのうち12種17点が国宝指定され、百済文化水準の高さが伺えます。
|
|
|
|
|
|
コース名 |
百済の古都 公州,扶余歴史ツアー |
スケジュール |
ホテル出発 → 国立扶余博物館→宮南地→定林寺→昼食→遊覧船(百花亭・落花岩)→公州 武寧王陵→ 公山城→ホテル到着
|
所要時間 |
07:00~19:00(12時間) |
料 金 |
★料金は参加人数によって変更になります。
4名以上 150,000ウォン/1名
3名 180,000ウォン/1名
2名 220,000ウォン/1名
|
料金のお支払い |
韓国ウォンで現地払い
|
条 件 |
1. 専用車、駐車料、通行料, 入場料,ガイド料が含まれております。
2. 交通状況により時間変更があります。
3. ※ こちらのツアーには 食事代は含まれておりません
当日のガイドがお客様とメニューを相談してご案内致します.
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|