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水原華城 |
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水原華城
朝鮮王朝第22代正祖大王が政争によって犠牲になった自分の父親(思悼世子)のために漢陽(現ソウル)から都を移そうとして造られた幻の王都。
1794年に築いた全長5.7キロの万里の長城のような華城を始め、4つの見事な桜門や2つのアーチ型の水門、市内が一望できる西将台など、建築物と風景の調和が素晴らしい建造物として1997年に世界遺産に指定されている。
水原華城が造られた歴史的背景とは?
朝鮮王朝第22代正祖大王は自分の父親(思悼世子:後莊祖に追尊)が政争によって犠牲になった(米櫃に閉じ込められ殘酷に殺された)ことを常に悼みながら、親孝行心を持って成長しました。
英祖(正祖の祖父)に引き続いて卽位し、13年後、父親の思悼世子の孤魂を慰めるため揚州から父親の遺骸を水原の南にある花山に移しました。
その後、思悼世子に対する親孝行と強力な王都政治を夢に正祖18年1月から20年9月まで2年8ヶ月にかけて華麗で雄大な城郭(華城)を築城ししまたが王都として使われれることは一度もなく幻の都として今に至るのです。
華城は現在史蹟第3号と指定され、1997年12月ユネスコが指定する世界文化遺産に登録される。
韓國の城郭の中で最も科學的構造を緻密に配置し優雅で莊嚴な貌樣をしています。
特に城郭の築造に石材とレンガを使用したこと、その上矢と槍と劍等を防御するための構造だけでなく、銃砲を防御するための近代的城郭構造で、又用材を規格化して挙重器等の器械を活用したこと等が韓国の城郭史上特記することです。
華城の城郭は韓国で最も最近構造した城で、城郭には東西南北の関門があり、北側は長安門、 南は八達門、西は華西門、東は創竜門が位置しています。
各門の間には敵情を監視する空心墩を造り、西将台、東将台の2ヶ所の将台を造り、兵士を指揮訓練させたりした所である通信施設の烽火と四つの角数、城の中央部に流れる水原川の北部の北水門(華虹門)、南水門等を築造し、韓国で最も科学的な設計をもとにして築いた城郭です。
華城の規模は城郭の長さ5.7km、面積は130haで、東の地形は低い丘陸地となっており、西の方は八達山に掛かっている平山城の形態で機能に合わせて約50ヶ所の施設物を築造し、施設の41ヶ所は芸術的な美がある韓国国有の桜閣を設置してあります。
築城の動機が軍事的、政治、経済的側面と親孝行心によって築いた城で都市基盤の施設の大門、道路、橋、商店街等を設置して、生産基盤施設の貯水池、屯田を経営し、計画的な新都市を建設しました。
華城は18世紀の東洋の城郭を体表する韓国伝統建築の完成品で築城の計画、制度、方式だけでなく、建築した人々の人的事項、材料の出処及び用途、工事日程等が“華城城役義軌“という本に完璧な記録が残っており、建築史的価値が高いです。
50ヶ所の施設物が各々の固有な美しさを持っており、城郭の全体が一つの芸術的作品となっていて、華虹門は水門の機能に加えて、七つの水門の上に築造した門楼が又一つの芸術品として、調和する訪花随柳亭と共にまるで一幅の絵を見ている気分になります。
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